四年前の初夏、長崎街道出発の地である「ときわばし」を渡り、紫川のほとりを歩いていた時、偶然、サンフランシスコのポークストリートにあるようなレトロな雰囲気の洋館に出会いました。
建物に岡田医院の看板は掲げられてはいるものの、中にはどなたもいらっしゃらず、持ち主の方もわかりませんでした。
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その後、調べに調べていくうちに、平成十六年二月に岡田先生が亡くなられた時(享年九十歳)医院としての役割を終えたということがわかりました。
このままではこの歴史ある建物が壊されてしまうことを知って、建物の保全と保護を第一に考えて取得することを決めました。
縁あって知り合った、行橋にお住まいの八十五歳のご夫人に調べていただいて持ち主の方へ辿り着き、さらに近隣の方や町会長さんにも相談させていただくなど、地元の方々のご協力によって、平成十六年十月に譲り受けることが出来ました。
また、天井裏からは明治二十三年、旧小倉警察署改築をした当時の棟札も見付かりました。郷土史家の稲津義行さんによると、大正時代に発行の「小倉市史」に一八七五(明治八)年に小倉県庁舎を建てたという内容の記述があり、小倉県が翌一八七六(明治九)年に福岡県に合併されると、洋館は県小倉支庁舎に。翌年から小倉警察署として使われていたことがわかりました。
この建物は洋風建築に似せて造った「擬洋風」建築で北九州市内最古、明治初期の旧小倉県庁舎の一部としても使用されていた、築百三十年以上の由緒ある建物です。
戦時中小倉には軍事工場が多く、一九四五年八月九日、原爆投下の予定地とされていながら、当日の悪天候と前日の八幡製鉄所爆撃の余燼のために、原爆投下をまぬがれて残ったとてもたくましい建物でもあります。
これからは街のシンボルとなり、維持、保存をしなくてはならないと考え、そこから手探りの改修工事がはじまりました。
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傾いていた建物は元に戻して柱はそのまま残し、古い瓦は大切に保管しながら雨漏りを直し、外壁の塗装は丁寧に手で塗るなど、当時の雰囲気をそのまま残すように、漆喰アーティストの久住さんのご協力も得て『壊さず残す』改装を何度も重ねて参りました。
四年弱の年月をかけた小倉の歴史を物語る大切な文化財は、平成二十年九月十二日(金)に「BLUE KOKURA」として無事開店いたしました。このように歴史的にも興味深い建物となっています。
お近くにお越しの際は、お立ち寄りください。お待ちしております。

外観(改装前→改装後)
長崎街道出発の地「常磐橋(ときわばし)」

医院を終えた当時の診療室の様子
「当時の看板」 今ではこの番号でお店につながるようになりました。

瓦と分銅(窓開閉用の重り)
三階菱文:小倉藩主だった小笠原家の家紋として有名。旧小倉市のマークのモチーフとして盛り込まれていた。

明治23年~昭和3年 旧小倉警察署庁舎当時(中央写真)
明治23年 旧小倉警察署庁舎の棟札と、そのとき一緒に見つかった木製の平型直角定規(当時の大工さんの忘れもの)

内観(踊り場→二階)
小倉県庁跡を記す看板

改装工事風景
当時の診療所の長椅子と昭和初期の国旗

BLUE KOKURA 店内入口